六代将軍家宣の時代


家宣は家光の次男である綱重の長男

さてさて、この頃の大奥では二代派閥がありました

お夏の方(順性院)と綱吉の母であるお玉の方(桂昌院)です

順性院はもともと町人の娘。桂昌院も八百屋の娘。2人とも春日局にスカウトされて大奥入り

2人とも身分も低く、立場上同じランクだったため競争心がメラメラと燃え上がっていたのでした

順性院は次男・綱重を出産し、桂昌院が三男・綱吉を出産したのです

子供も2歳違いということもあり、さらにライバル心はヒートアップ。
老中らは頭を痛めていました。

が、次男の綱重が35歳で死んでしまい、戦いはおさまったかのようにみえました


さてさて綱吉の長男である徳松が死んでしまい、次の将軍候補は?ということとなりました

そして綱吉の甥で次男・綱重の嫡子である綱豊が有力候補となりました。

ここで黙っちゃいないのが桂昌院です

「あんな女の孫が次期将軍なんて冗談じゃないわ!」と、徳松の姉である鶴姫のお婿さん紀伊家2代目光貞の長男である綱教をプッシュしてきたのです

これからどうなる!?って時に、なんと肝心の順性院が死んでしまったのでした

順性院VS桂昌院の大奥を巻き込んだバトルが終焉を迎えました

こうなったら桂昌院の右に出る人はいません

桂昌院は綱教をプッシュ

が、なんと肝心の綱教が将軍職を嫌がるのです

こうなったら鶴姫に男児を産んでもらい、その子(自分の孫)を将軍にするしかないわ!と桂昌院は燃えました

ですが頼みの鶴姫が死んでしまったのです

さらに綱教も後を追うように死んでしまいました

こうなってしまったら仕方がありません

桂昌院は大嫌いだった順性院の孫・綱豊を養子にするしかなくなってしまい、名前を綱豊から家宣と改め綱吉の養子としたのでした

こうして六代将軍家宣は誕生したのです

すでに41歳になっていました






御台所 煕子

家宣の正室熙子は京都関白の娘です

19歳の時に18歳の家宣と結婚しました

長女豊姫を出産しましたがすぐに死んでしまい、次に男児を産みましたが、その日に死んでしまいました

家宣が六代将軍として江戸城へ行くこととなり御台所となりましたが、家宣が51歳で死んでしまうと「天英院」として家宣の冥福を祈る身となりました

とても人のいい優しい女性でしたが、2人の子供は死んでしまい、家宣の寵愛は別の女性に向けられてしまっていたので、寂しい生涯を送ったといわれています

権力NO1 お喜世の方

家宣が甲府にいた頃に側室となった女性

僧侶の娘と言われています

家宣の住んでいる桜田御殿に奉公にあがったときに、美貌と才智で家宣の寵愛を受けるようになりました

それからは家宣の寵愛を一身に受け、また鍋松という男児を出産したため、大奥では権勢を欲しいままにしていました

お喜世の方のバックには、甲府時代からの忠臣・間部詮房がついていました

いつしか鍋松は本当は詮房の子ではないかと噂されるほど

ちなみに間部の旧姓は「間鍋」

そしてお喜世の方の息子の名は「鍋松」

こっからして怪しい

鍋松も詮房の言うことしか聞かず、鍋松が悪いことをすると「詮房に言いつけますぞ」というだけで大人しくなり、詮房が仕事から帰ってくると飛びついて抱きつくほど詮房が大好きでした

鍋松より先にお須免の方が「大五郎」という三男を産んでおり、この2人は7ヶ月違いのため、お喜世の方とお須免の方の間で激しい戦いが繰り広げられました

が、大五郎が3歳で死んだため、鍋松の地位は不動のものとなったのです

こうして家宣が死ぬと、鍋松は家継と名前を改め七代将軍に

お喜の方は「月光院」となり、権力を誇りまくるのです

お須免の方

お須免の方は柳沢吉保の推薦により大奥に入った女性です

お須免は柳沢吉保の愛妾であった染子(綱吉の愛妾になった)の親戚でした

吉保は次の将軍は家宣になりそうだ・・・と読むと、すぐさまお須免の方を大奥に入れたのです

京都出身だったため、正室の熙子とも仲が良く、お喜世の方に対抗していました

そして大五郎という三男を出産し、次期将軍候補としてお喜世の方の産んだ鍋松と熾烈な戦いを繰り広げるのです

四男鍋松の母 お喜世は20歳の時に奉公にあがったところ、その美貌で先輩お須目の方をしのぐほどの寵愛ぶりとでした

おもしろくないお須目の方

この2人の仲は最悪でした

が、大五郎は3歳で死去

お喜世の方が毒殺したという噂まで流れました

が、死んでしまったものはもう元には戻らない

さらにその後も息子を出産しましたが、これも生後二ヶ月で死んでしまったのです

家宣には全部で7人子供がうまれましたが、育ったのはお喜世の方の息子・鍋松一人となったのです

こうして権力争いに敗れたお須免の方は、家宣が死ぬと落飾し、家宣の冥福を祈る身になりました

お古牟の方

町医者・もしくは僧侶の娘と言われています

家宣が甲府にいた頃に奉公にあがりました

当時13歳で、身分も低いため「御湯殿掛り」という、お殿様がお風呂に入る時に世話をする女性でした

ここで、家宣がお風呂に入った時に、ムラムラときて、お古牟の方に手をつけたのです

こうして男児を出産

が、この子がすぐに死んでしまうのです

それからはお喜世の方が出てきて、家宣の寵愛はお喜世の方に向けられてしまい、お古牟は影の薄い存在に

そして家宣が死んだ時に、落飾し尼となり、85歳の長寿をまっとうしました

斎 宮

侍の娘

甲府時代に家宣に手をつけられる

はちきれんばかりの健康的な美女だったようです

そして妊娠するも、難産となり、母子ともに死んでしまいました